沖縄首里ロータリークラブ 第6回例会 会長の話

沖縄首里ロータリークラブ 第6回例会 会長の話

先月 5 月 19 日のオンライン例会 第 6 回例会を迎えることになりました。今日は 1905 年 2 月 23 日、アメリカ・イリノイ州・シカゴで始まったロータリークラブが、どんな経緯を経て、違う意見をどうまとめてきたのかというロータリー喧々諤々、議論の推移とその解決方法、その 様な歴史について,超簡単にふりかえってみたいと思います。いろんな業種の人、信頼できる人に限ってみんなで集まり、ビジネスをさかんに していこう、つまり、異業種交流サロン的に始まったロータリーは、始まってすぐにドナルドカーター事件が発生します。ロータリーに入れば ビジネスがうまくいき儲かるわけですから次々入ってくる始まりのころ、「自分たちだけで儲かるという組織団体なんて、そのうちダメになる。 何の魅力もないから入らない」こう言い放つドナルドカーター。ロータリー創立者のポールハリス37歳弁護士は、この考えを深く聞き入り これをロータリークラブの三番目のクラブ目的に入れることにします。1真の友人で仲良くなろう2互いのビジネスを使うことによって健全 で利益のある仕事を増やそう、プラス、3地元地域貢献が始まります。最初はシカゴでの公衆トイレの設置事業でした。

これ以後、ロータリ―は、意見とアイデアのぶつかりあいが連続します。こうあるべきだ、そういうのは必要ない、、、いわゆる親睦 Only 派 と社会奉仕積極派のクラブ内論争です。<1907 年から 1910 年の第1の危機と言われるもの>その後も、社会奉仕の在り方、1915 年~1923年の奉仕活動の理念が大切、いや実践が大事という論争です。第 2 の危機。そしてさらに 1929 年 10 月ウオール街の株価暴落に端を発した 世界大恐慌による多くの経営者の混乱のさなか、1923 年に一旦おさまった奉仕活動の在り方(ある種の制限と奉仕活動の意味するものの定義 ―23-34 社会奉仕についてーを逸脱しすぎ、あるいはコントロールすべき、など幾多の争点がある第 3 の危機。。。この様にロータリークラブ は、いかにあるべきかの模索を続けており今もそれは続いています。時間の都合上、超割愛してどういうように、これらの危機を乗り越えてき たのかについて私の捉え方をお話します。簡単に言うと、視線を高く、より長く、広く、深く、厚く、に置くことによって冷静にいろんな立ち 位置を理解し互いを認め寛容の精神で複数の解決先があっていいのだという結論です。遠くまで見る目が大事。今日もありがとうございました。